· 

ヨガは、展開ではなく回帰。

アーサナ(ポーズ)の練習は、自分と向き合う大きなチャンスです。

アーサナは本当に興味深くて、

筋トレの様にパワーをつけてカチカチに筋肉を固めることでは完成しないし、

逆に軟体動物の様に、くにゃくにゃに柔らかいだけでも完成しません。

 

 

 

内側の強さと、表面の柔らかさという、相反する要素が同じだけバランス=調和した時に完成します。

「安定で快適、これがアーサナである。」

ヨガ・スートラに書かれているアーサナの定義です。

 

 

 

だから、

不安定を無理やり固めて維持するとか、

不快を我慢して笑顔でいるとか、

そんなのアーサナ(調和・バランス)ではないのです。

 

 

 

この我慢大会の負のスパイラルを打破するには、

とても基本的なことを常に確かめ続けることが、大きな助けとなります。

表面は力んでいないか?

柔らかさに頼っていないか?

肩や腰の強張りを我慢していないか?

そして、

自分自身を内側から支える軸があるか?

呼吸ができる余裕=スペースがあるか?

いつも自分に問いかけながら、

今この瞬間において、「安定」する方へ、「快適」な方へ、微調整をし続けることが大切です。

 

 

 

アーサナを何度も練習する必要があるのは、

できないことをできる様にする為ではなく、

基本の、そしてつい見失いそうになる本当に大切なことを、身を以て何度も確かめる為です。

今の自分とは違う理想の自分に憧れることではなく、

今ここに存在する自分自身の中に、調和を探し続けること。

それができた時に、私たちは気がつきます。

「あ、一番安定して快適な場所は、自分の中にちゃんとあった!」

だからアーサナが定義通り完成すると、私たちは本来の自分に戻れた様に安心するのです。

 

 

 

ヨガは、

頑張って頑張って頑張って、

できないことができるようになるとか、

必死になって自分にないものを手に入れることではなくて。

「ずっと探していた幸せな場所は、既に自分の中にちゃんとあった」と気付くこと。

私はそう確信しています。

 

 

 

ここではないどこか。

今の自分とはかけ離れた理想の自分。

それを追い求めている時、

私たちは本当に大切な「今ここの自分」を無視し続けています。

 

 

 

私たちが何かを欲している時は、

まさにその欲しいものが、今自分にはないと確信しています。

「お金が欲しい」と思うのは、貧しいと思っているから。

「美しくなりたい」と思うのは、醜いと思っているから。

「幸せになりたい」と思うのは、不幸だと思っているから。

そう、欲望や欠乏感は、すべて今の自分を否定している表れです。

 

 

 

「欲しい」という気持ちを我慢しろと言っているわけではなくて、

外に求めなくても、今この瞬間からいつでも私たちは、真実に気づくことができると言っています。

お金がないから貧しいのではなく、人と比べて自分に無いものを嘆く心が貧しいのです。

見た目が醜いのではなく、人を見た目で判断しているあなたの考え方が醜いのです。

不幸なのではなく、未来への不安や過去の後悔ばかりに囚われて、今向き合わなければならない事から逃げているから今苦しいのです。

 

 

 

今ここに、ありのままの自分であり続ける。

とても難しいですが、追求する価値のある学びと実践こそ、ヨガであると思います。

アーサナを取るのではなく、

アーサナを通して、今の自分自身と向き合う。

 

 

 

展開ではなく回帰。

ヨガは本質に戻るための練習なのです。

 

 

 

 

kayo