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ヨガ指導者として、個性を消す。

ヨガ指導者として活動を始めた当初は、

自分のスタイルや個性を確立したいと思っていた時期がありました。

他のクラスとの何か違いを出さなきゃ、とか、

何か特別な存在にならなきゃ、とか。。。

 

 

 

人と違うことをして目立ったり、

何か特別な存在にならなければいけないのだと思っていたんですね。

 

 

 

でも今は全く正反対です。

今私はヨガを伝える、ということにおいては、

できるだけ「自分の個性を消す」ように心がけています。

なぜならヨガは、私が作ったものではないからです。

 

 

 

ヨガは5000年以上の歴史を持っている、

古代から伝えられてきた普遍の知恵です。

「なんとかヨガ」を作った人はいるかもしれないけれど、

「ヨガを作った」人はいません。

私が伝えたいのは「ヨガ」です。「なんとかヨガ」ではないのです。

だから、できるだけヨガに自分のカラーを付けないようにしています。

 

 

 

ヨガは、水のようだなと感じます。

水は、姿や形、名前を変えることができますが、その本質は変わりません。(水・氷・水蒸気etc.)

私たちの中にも外にも存在し、

重くもなり、軽くもなります。

目に見えないくらい微細でもあり、

大地を覆うほど大きな塊にもなります。

地中にも空間にも存在し、

水がなくなったら、人間だけでなくすべての生命体が存在することができません。

水はなんといったら良いか、とてもニュートラルだからこそ、

すべてのものと調和できるのだと思います。

この世界全体にあまねく存在し、すべてのものと混ざり合って繋がっているのだと思います。

 

 

 

そんな水のようなヨガを、

わたしという存在を通して、何か甘くていい匂いがして見栄えの良いジュースに変えて提供してしまったら、

それはもうヨガではなくなってしまいます。

受け取ってくれる生徒さんにとっても、

その瞬間は、美味しいとか甘いとか喜んでもらえるかもしれない。

でも毎日ずーっとジュースのようなヨガを続けたら、

きっと少しずつ蝕まれていってしまうと思います。

生徒さんのことを心から大切に思ったら、

与えるべきはジュースではなく、水なのだと私は思うのです。

 

 

 

だからわたしは、出来るだけヨガに混ぜ物をしたくない。

目新しい特徴はないかもしれないけれど、

いつも同じかもしれないけれど、

これからもずーっと変わらず大切なものとして、ピュアに「ヨガ」を手渡していきたいと思っています。

そのために、自分の個性やカラーをどこまで消すことができるかが、

今の私にとって最大の課題でありテーマです。

 

 

 

自分の日々のクラスだったり、

様々な場所でワークショップや講座をさせて頂いたりする姿が、

ヨガの神様に恥じない行いになっているかどうか。

それが、わたしの一番気を付けていることであり、

「まだまだ全然ダメだな」

と日々反省の連続です。

 

 

 

自分の個性とか「ああしたいこうしたい」とかを完全に消し去って、

ヨガを伝えるための純粋な道具として存在することができた時、

「少しはヨガのお役に立てたかもしれない」

とホッとできるのかもしれません。

その一瞬のために、必死に毎日踏ん張って生きてます。

 

 

 

ヨガを利用するのではなく、

ヨガに利用される人生を選択する。

それは怖いことじゃなくて、

むしろ喜びなのではないかと思っています。